【体験談】30代家族もちが教員をやめフリーランスとなった話

みなさんこんにちは。

このHPを運営する「さわにい」と申します。

教員歴は11年。公立中学校理科を教えていました。

教員は天職!と思っていましたが、11年目に過労で倒れてしまいました。

その後体調は回復したものの、パニック発作が後遺症に。退職を決意しました。

現在は

  • 「株式会社新学社」はじめ多数の企業の教材開発。
  • 訪問回数30万回/月の中学理科の解説HPの運営
  • 登録者75000人のYouTuber
  • 情報モラル教育講師

などの活動をしております。

収入は教員時代より多少減ったものの、毎日6時間労働+家事をしながら楽しく活動をしています。

小話1

6時間労働というと少なく感じるかもしれませんが、体を壊した後遺症でこのくらいが限界なのです。

精神疾患が治り始めた当初は「教員をやめれば全快するだろう」と考えていましたが、完治は予想以上に困難でした。

教員のみなさま「忙しすぎて体調がおかしい」と感じたら、すぐに休んでほしいです。

児童・生徒は大切です。よくわかります。ですが、あなたの体も等しく大切なのです。

小話2

「収入が減少」と書きましたが、「フリーランス」という職業は仕事を常に時給換算します。

「教員」の収入は低くはありませんし、安定している大変良いものです。

しかし「時給換算」すると教員よりもフリーランスのほうがはるかに収入は良くなりました。

私は教員時代、毎日3~4時間ほど、無料で残業をしていたからです。

そんな私の話。はじまりはじまりです。

教員1〜5年目

教員生活の前半

1校目

大阪教育大学を卒業後、新卒として公立中学校の教員となりました。

ポジションは1年副担任でした。

この学校では5年間お世話になりました。

  1. 1年副担
  2. 1年担任
  3. 2年担任
  4. 3年担任
  5. 3年フリー(生徒会主任)

として過ごしました。

この学校はとっても荒れていました(笑)

 
荒れてたってどのくらい!?

「全国荒れ偏差値」にすると65くらいでしょうか(適当)

教員初日、スーツで学校に向かったのですが、校長先生から、

「すぐにジャージに着替えて。その格好だとキケンだよ。」と教えていただきました。

(スーツ&シャツは生徒との戦闘時に不利なのです。)

チャイムがなっても授業なんて始まりません。

理科室になんてきてくれません。

むしろ、2〜4年目とかは、「本校での理科室の授業はキケンすぎる」となり理科室は封鎖されてました。

(たしか家庭科室で生徒がいたずらし、ガスが充満し救急車が来たことがきっかけ。)

年間の割れたガラスは平均300枚。1日の最高は120枚ほどでした。

乱闘がおきると警察を呼ぶのですが、いつも1時間くらい遅れてきて力になってくれません。

しょっちゅう火災報知器が鳴らされ、消火栓から水がぶっ放されました。

「掃除の時間」なんてありません。(逆にちらかるため)

私の教員時代の自慢の一つは、「学校にあるもので投げつけられたことが無いものは無い

ことです。季節によって

  • (春) ティッシュを濡らした玉
  • (夏) 花火
  • (秋) 木の実
  • (冬) 雪

などもさんざん投げつけられました。むろん教室内でです。

とても大変な日々でしたが、困難校ならではの教員同士の強い結びつきがあり、苦しくも楽しく?過ごすことができました。

尊敬できる先輩ばかりでした。

この5年間は小説1冊分は書けるのですが、本記事の趣旨と逸れるのでこのくらいにしておきます!

 
(先生方の共感などのコメントお待ちしてます笑)

6〜10年目

教員生活の後半

2校目

2校目は比較的落ち着いた学校に転任しました。

この学校では3年間を過ごしました。

  1. 1年担任 (計6年)
  2. 2年担任 (計7年)
  3. 3年担任(生徒会主任)(計8年)

運命なのか、この学校でもやんちゃな生徒の担任を3年間することになりました。

 
教員あるある!

そのため、ここでの経験も中々なものとなりました。

特に思い出に残っているのは、生徒が転売したバイクの料金が支払われず、バイクを取り返しに行ったことです。

↓は見事盗み返したバイク(笑)

盗み返したバイク

小話

1校目、2校目の両方に言えることですが、ここに書けないくらいヤバい事件もたくさんあります。

教員なら、墓場まで持っていくしかない事件にも遭遇しますよね笑

そんなこんなの2校目でした。

ですがこの頃から、動悸や息切れを感じるようになりました。

あまりに調子が悪いので、病院で検査をしてもらったこともありました。

ですが結果はもちろん「異常なし(精神疾患の特徴です)」

先生に「精神科も受診したほうがいいのでは?」

と聞かれましたが、当時の私は「異常が無いってことは健康なので必要ないです。」

と答えてしまっていたのです。

また、学校の健康診断ではこんなこともありました。

アンケートに

  • ストレスは溜まっていますか?→いいえ
  • ストレスの発散方法はありますか→いいえ

と回答していたのですが、保健師?のおばちゃんに「このように答える人は、ストレスが溜まっているのに自覚できていないキケンな人の兆候

と言われたのです。

でもその時も「そりゃーストレス溜まりますわ!」

事態を軽く見ていたのです・・・!

3校目

  1. 1年担任 (計9年)
  2. 2年担任(計10年)

私にとって最後の学校となる3校目。

今までで最も安定した学校でした。

学校行事や部活動なども盛んで、忙しくも充実をした日々を過ごしました。

小話

安定した学校ではありましたが、今までとは別の大変さも感じました。

行事に関する動きは生徒主導で行うため、事前の打ち合わせが欠かせませんし、部活動も関東大会レベルで、遠征も多かったです。

困難校の経験が多かった私にとって、「良いものを伸ばす」という教育は難しいものでした。

さて、9年目の後半から、私の体調はさらに悪化をしていきました。

動悸や息切れが増え、一時的に座って休まなければならないことも増えました。

いつ何時、発作のように体調が悪くなるかわからないので、高速道路の運転などに非常に恐怖心を抱くようになりました。

また、「このまま仕事続けたら死ぬな、、。」という感触が強くなり、確かな手応えと言えるまでになりました。

そして10年目の前半。「この年度で辞めよう」という気持ちが強くなります。

もっと正確に言うと、「生徒に迷惑がかからないよう、今年だけでも何とかもってくれ。俺の体」

という感じです。

 
いよいよヤバい、、。

しかしこの時には体の限界は近く、「夏の関東大会までもってくれ」「1学期中だけでももってくれ」と頑張れそうな思いもどんどん短くなりました。

そして6月。その日の朝、妻に「もう今日行ったら学校いけなくなるかも」と言って学校に行きました。

その日の夜、運転中にもう運転ができない状態となり、3ヶ月の休暇に入りました。

休暇の3ヶ月目に、復帰の準備のため、頭と体のトレーニングを行うよう医者から言われました。

この時に生まれたのが「さわにいの理科サイト」です。

その後、2学期の半ばくらいから学校に復帰します。

担任業は外れ、授業のみでした。当時の先生方には感謝してもしきれません。

そのまま消えたかったのですが、やはりケジメはつけようと、その年度内をやりきりました。

でも年度内中、頭はずっとパニック状態でした。

  • 授業で精一杯な自分の不甲斐なさ
  • 不甲斐なさで心を壊さないように自分を納得させる気持ち
  • 生徒への指導の通りが悪い
  • 保護者からの信頼感も無くなっている

そんな状況を抱えながら、12月に管理職に年度内の退職の以降を伝えました。

管理職の先生方は、最後の最後まで引き止めてくださり、私に考える時間を十分に与えてくれました。

本当に感謝しています。

でも、本当にシンプルに「復帰してもまた倒れる」という確信があったので、辞めることへの決意はゆるぎませんでした

小話

辞職の意向を伝えたときの、多くの先生方の第一声は「・・・マジで!?」でした。

人間、本当に驚いたときは「・・・マジで!?」と言うんだなーと思いました。

退職後

退職後

4月からは新たな知識を得るために、職業訓練校で勉強することになっていました。

しかしコロナでまさかの3ヶ月延期に。私はやることが無くなり、「さわにいの理科サイト」の続きを作成したりしていました。

世間ではブログやYouTubeブームで、このようなプラットフォームを利用することで収入を得ることができることも知りました。

これ

などの活動が本格的になり、現在の収入やお仕事を得るための大きな柱となりました、

転職先のHP制作会社では、さまざまなことを教えてもらいました。

タイミングが悪く親族や実家の介護関係で退職することとなってしまいましたが、HP制作の技術のみならず、Webマーケティングなどを幅広く学ぶことができました。

転職では「doda 」を利用しました。

プロに転職に関する相談を乗ってもらえるので、とても助かりました。

dodaは求人数が最大級。かつ教員・公務員専門のカテゴリーがあり、教員からの転職に強いエージェントです。

転職エージェントは希望する条件に合う職種を無料で紹介してくれるのでオススメです。

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転職サイトと転職エージェント

現在

現在は自信の中学理科の解説HPの運営。YouTubeの運営。「株式会社新学社」様始め多数の企業様とともに仕事をしております。

立場はフリーランスとなりました。数年前までは自分がフリーランスとして生活するとは思いもよりませんでしたが、

  • 時間や場所、服装の自由
  • 経験を積むほど年収アップ
  • 税金対策がしやすい

など、体が弱くなった自分にはとてもマッチしています。

また、ITや理科の勉強はとても楽しいので、スキルや人脈の幅が広がるほど収入が上がるフリーランス特有のシステムとも相性の良さを感じております。

さて、書くべきことの10分の1も書けていない気がしますが、私がフリーランスになった体験談はひとまずこのくらいにしておきます。

ここまで読んでくださったみなさん。ありがとうございました。

このHPでは、教員からの転職を成功させる情報を中心に発信していきたいと考えておりますので、ぜひ楽しみにしていてください!

もし、ご質問や要望などありましたら、コメントTwitterのDMなどでご連絡をいただければと思います!

フリーランスになりたい先生方の相談も受け付けております。

私は教員を辞めたことに全く悔いはありませんが、現役の先生方はいまでも私のヒーローです。

応援しております!

そして、しんどいときはいつでも休んでくださいね!

 
ではまた!
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